父の学校
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Dranno父の学校・【お知らせ】

「ミャンマーで父の学校」報告(2)|父の学校


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この国に時が満ちた(ソジョン・記)

4月13日~16日まで、エルベテル教会でキャンプ・セミナーが行われて、私たち一家も参加しました。
私(ソジョン)は最初、「光児(こうじ、まだ8か月の赤ちゃん)を抱えて、暑い中一日中いるのは大変だから、今年のキャンプは主人だけ参加して、私は家で留守番していよう」と思っていました。
でも、キャンプが始まる1週間前に、主人だけではなく、私も講義を担当することになり、結局一家6人全員参加となりました。
というのは、私たちが日本で受講した「父の学校」の内容をこのキャンプでやってみようということになり、主人が男性クラスで「父の学校」を、私が女性クラスで「母の学校」をすることになったからです。
ミャンマー語の聖書を開いてみことばを写しながら、レジメを何枚も書いて準備しました。

参加してみたら、意外と少人数で、新しい世代のキーパーソンたちが参加していました。
そして初日と2日目は、父の学校と母の学校を通して、「父が生きると家庭が生きる。
家庭が生きると教会が生きる。
教会が生きるとミャンマーが生きる」というスローガンで行いました。
そして、2日目の午後には、主任牧師のタンオル先生ご夫妻を含め、4組が洗足式を行いました。
ご主人たちが愛する妻の足を洗う時は、涙と喜びと感動の瞬間でした。
この地のリバイバルは、家庭のいやしと回復から始まるのだと感じました。

その後、私は講義を3回担当しました。
1回目は、創世記1章から、生きる目的と地を従えるビジョンについて話しました。
「韓国には全ての市町村に教会がある。
それは以前、アメリカの宣教師達が来て、全国を回って無教会地域を調査し、そこに現地人伝道者を戦略的に派遣したからだ」という話をしました。
そして「始めたら、もう半分(到達したと同じだ)だ」という韓国のことわざを引用して、みんなを励ましました。
タウンオル先生を始めみんなが共感して、ビジョンを共有することができて、とてもうれしかったです。

2回目は、ルツ記を通して、霊的出産について、世代から世代へと祝福を受け継いでいく話をしました。
私のたどたどしいミャンマー語にもかかわらず、みんな恵まれたと言ってくれて、とても良い反応でした。
足りない私を主ご自身が助け用いて下さったのです。

3回目の講義をする前の夜、いよいよネタが切れて明日はどうしようか、と思っていました。
そんな時、何年も前に講義して取っておいた「民族を抱く祈り」という題のレジメを一枚見つけました。
主人がそれを見て急に、「明日はソジョンがそれをやることにするから準備してね」と言って、先に寝てしまいました。
私はベッドの上で横になりながら、そのレジメを読んで準備しました。
そうしたら、読んでいるうちに涙があふれて、ベッドから起き上がってみことばを書き出しました。

「わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう」(Ⅱ歴代7:14)
次の日に、そのテーマでみことばを分かち合い、みんなで祈る時を持ちました。
一人一人が心から悔い改め、この民の罪をとりなし、「主の救霊の思いを注いで下さい」と涙を流しながら祈りました。
また、この国を祝福し、将来クリスチャンの大統領や政治家たちがたくさん出るようにも祈りました。
私も久しぶりに涙を流しながら祈り、この国に対する救霊の思いで胸が熱くなりました。
信じて1、2年しか経ってない人も、この国の福音化のために熱い献身の思いで祈りをささげていました。
そして、「ミャンマー宣教のために人生をささげる人は前に出て下さい」という招きがなされて、
ほとんどみんなが前に出てひざまずき、タウンオル先生が一人一人按手して祈りました。
それは、まさにリバイバルの始まりでした。
後で「こんな体験は初めてです」と顔を輝かせながら言う姉妹もいました。

私は正直言って、こんなにも聖霊が熱く働くとは思ってもいませんでした。
少し前に私にデボーションを通して与えられていたみことばが、成就された思いでした。

「見よ。
わたしのささえるわたしのしもべ、わたしの心の喜ぶわたしが選んだ者。
わたしが彼の上にわたしの霊を授け、彼は国々に公義をもたらす。
~先の事は、見よ。
すでに起こった。
新しい事を、わたしは告げよう。
それが起こる前に、あなたがたに聞かせよう。
」(イザヤ42:1、9)
そして午後には、教会学校の子どもたち3人の洗礼式が行われました。
キャンプの閉会礼拝のメッセージは主人が、「宣教に必要な聖霊の力」というテーマで語りました。
・・・・エルベテル教会は以前からみんな伝道熱心です。
難しいと言われるビルマ族の仏教徒やイスラム教徒から救われた方もいます。
信じて何年も経ってないけど献身の思いで熱い姉妹もいます。
しかし、大変な環境や試練を乗り越えて、宣教のために献身しようとする彼らに今一番必要なのは、聖霊でした。
全ての民族・市町村に教会を建てるというミャンマー完全福音化のビジョン実現のためには、聖霊の力が必要です。
主は約束どおり、主が選んだしもべの上に、主の霊を注いで下さったのです。
「この国に時が満ちた」ことを肌で感じるときでした。
今から主ご自身がこの国でなさるみわざを期待します。

私たちがこのミャンマーに来て今年が9年目になります。
最近私は、思うようにいかないとき、目に見える実がないように思われるときがあって、「主よ、どうしてですか」と尋ねました。
そのとき主は、「今までのあなたたちの苦労は無駄ではないんだよ」と私に語って下さり、私は心の平安を回復しました。
今回のキャンプは、まさにこの答えだと思いました。

参加したあるおばあさんから、「赤ちゃんや子どもを4人も連れて、主の働きをするのは簡単ではないのに、あなたは良くやったね」と言われました。
本当に主に感謝します。
主人と雄基と教会の皆さんが協力して世話をしてくれたおかげです。
生後8ヶ月の光児を、みんながリレーでだっこしてかわいがってくれました。
3日目の午後は、さすがに疲れが出たのか、私としてはめずらしく頭痛と吐き気がありました。
でも、みんなの祈りのおかげで夜にはいやされました。
4日間フルタイムの体力戦でしたが、何とか守られました。
子どもたちもセミナー中は健康が守られ、終わってからどっと疲れが出ましたが、今は大丈夫です。

キャンプから帰る車の中で、以前本で読んだ、中国に行ったイギリスの女性宣教師グラディース・アイルワード(Gladys
Aylward)のことを急に思い出しました。
家政婦で学歴もなかった彼女は、主を信じてから劇的に変えられ、中国で宣教師として勇敢に用いられました。
彼女は晩年にこう告白したのです。
「主は、最初はもっとすばらしい人を選んだのに、たぶんその人が主の召命を断わったのでしょう。
ちょうどその時、主が天から地を見下ろしたとき、この私を見つけたのでしょう。
」・・・・・何か自分と重なるような思いでした。
何でもない私が、主の世界宣教の召命に応答しただけで、
こんなにもすばらしい宣教の祝福の中で生きる特権を与えられたのです。

主の恵みに、ただ感謝をささげます。


伊藤ソジョン

--2012-04-24--